Kasai Haruka
可西晴香
Profile 経歴

可西舞踊研究所 代表
一般社団法人 富山県芸術文化協会 副会長
富山県洋舞協会 会長
富山県舞台技術研究会 副会長
社団法人 現代舞踊協会 北陸支部長
東京新聞全国舞踊コンクール 現代舞踊 審査員
History 歴史
故可西希代子氏が1948年に研究所を開設。
1981年 文化庁国内研修員。
1988年 あきた全国舞踊コンクールにてグランプリ。
1993年 とやま賞受賞。
1994年 富山県教育委員会優良芸術文化活動推進者表彰。
1995年 可西舞踊研究所代表となり、国内外においての振付・演出を数多く発表。
1997年 とやま国際交流草の根賞受賞。
1998年 北日本新聞社芸術選奨を受賞。
2000年 とやま世界こども演劇祭参加
2001年 モナコ世界演劇祭では、世界各地から集まった批評家たちの絶賛を受ける。
2003年 プラハ芸大の推薦を受け「プラハダンスフェスティバル2003」の国際ダンスコンクールに於いてグランプリ。
更に、民俗舞踊第1位、指導者賞を受賞。さらに富山県功労賞を受賞。
2004年 プラハダンスフェスティバルで国際審査員になる。
2007年 全国舞踊コンクール現代舞踊部審査員となる。
2008年 「第1回とやま世界こども舞台芸術祭」で演出・振付「マッチ売りの少女」が絶賛を受ける。
2009年 12月にはプラハコンセルヴァトワールから依頼を受け、コンセルヴァトワールの生徒による「マッチ売りの少女」を
プラハ国立スヴォフスケー劇場にて公演。この劇場で日本人初の演出・振付。
2010年 とやま舞台芸術祭 利賀2010 可西晴香プロデュース 演出・振付「オルフェ~幻櫻になった妻ユリディス~」を発表。
同6月にはベルギーにて「響きに舞う」を公演。
2011年 可西舞踊研究所 高岡新スタジオ竣工。財団法人松山バレエ団顕彰「第21回 芸術賞」最年少で受賞。
7月、60周年記念公演を高岡文化ホールにて開催。北日本新聞社「文化賞」を受賞。
富山県芸術鑑賞にてダンスファンタジー「マッチ売りの少女」をプラハ・ボヘミアバレエ団と合同公演。
2012年 「とやま世界こども舞台芸術祭2012」参加。3月、プラハ・バレエ・コンセルヴァトワール&ボヘミアバレエ団演出・振付派遣事業として
演出・振付をプラハで行う。12月、インド文化使節団派遣事業に参加。
2013年 「ハンガリーフラワーカーニバル」に参加。
ただ何となく始めた踊りが・・・

「肥満児で運動神経が鈍いこの子に、体を動かす何かをさせ、活発な子になってほしい。」今は亡き実母の思いで始めた踊りです。特別好きでもなく、ただ何となく、小学1年から6年間、研究所の福光支部に通っていました。中学に入り、「できない自分」に突き当たり、もうやめたいと思ったとき、希代子先生から「霜葉」という作品の直接指導を受ける機会に恵まれました。先生の親身な指導の中から、「やさしさと厳しさ」「できる事への努力と喜び」を学びました。その作品が思いがけず、全国舞踊コンクールで第3位となり、それからは「がんばれば、できないことはない。何事も挑戦してみる。」この言葉を自分の信念としてきました。高校、大学時代は、朝5時に起き、夜は練習し、最終列車で家に帰り、「自分は人よりも努力しないと・・・。」という気持ちで頭がいっぱいでした。体は太っているし、踊りは問題点ばかり。このような私を、希代子先生は、いつも優しく見守ってくださいました。
(昭和47年全国舞踊コンクール現代舞踊第二部 第3位 霜葉)
指導者として、創作する道へ

踊りたい、すてきなダンサーになりたい、という思いが強かった20歳前半。希代子先生は、踊ることより指導者として、振付者としての道も大切であることを教えてくださいました。しかし、若かった私は、踊っている自分しか考えることしかできませんでした。今思うと、希代子先生はそのような私の考えに、創作すること、指導することの難しさを少しずつ教えてくださっていたのです。先生の振付された踊りを、私が生徒に教えるのですが、それがうまく教えられないのです。生徒には作品の思いと魂が伝わらず、希代子先生には、「私が赤のイメージで創作したものが、青になっている。」と言われ、一から全部、先生に直されたこともありました。その作品が見事にすばらしくなっていく様子は、言葉にならないほど心に残っています。その頃から、振付すること、指導することに対して、私の考えが少しずつ変わっていったように思います。希代子先生は、私の気持ちを察したかのように、作品には常に前向きで妥協することなく、「あそこのところをもっと・・・しられ。」と振付に対して厳しく指導してくださいました。今でもこの言葉を思い出しながら自分の作品を見直しております。
平成元年、私は、尊敬する希代子先生の養女となり、結婚、そして出産。平成2年、希代子先生は40周年記念公演を計画され、平成3年、芸術祭参加、芸術祭受賞作品の「立山まんだら~愛・模索の回廊」で、主役を踊らせていただきました。希代子先生の舞踊人生集大成の舞台に立てたことの感動は、わたしが舞踊家として生きることへの証となりました。
(昭和58年全国舞踊コンクール現代舞踊第一部 白い朝)
先生の風をうけて
風は踊りであり 人生である・・・。
希代子先生は、この言葉が、とても好きでした。
「風」に誘われて、「風」とともに去って行かれたのです。
私が空を見上げると、そこには、希代子先生の優しい笑顔があります。
「みんな、ガンバラレ」という声が聞こえてきます。
希代子先生の舞踊理念を受け継いだ仲間と共に、新たな舞踊への道を歩いてまいります。
先生の風をうけて「しあわせ」を感じ、「ステキ」な舞台を追い続けます。
幕が上がるその瞬間、すべてに対して感謝の気持ちを・・・。
忘れることなく。